独和タスクと教室談話における
日本語のアカデミック・スピーキングの特徴と習得の研究

ID : J032





[A3]
はい、えー、私は、えー、いつも本当のことを言って、必ずしも言うべきだというふうには思いません。
えー、何らかの事情があるときには、まあ、どうしても嘘をつかなければいけないそういうこともやむを得ないと思います。
これは確かカントが正しいことを言う事について語っていた文章がなんだったか思い出せないんですけれども、あの追手に、殺し屋の追手に追われた友人を匿っているあなたがそうだとして、まあ、その時に、えー、まあ、カントはその正しさを優先して、まあ、嘘をつくのはよくない。
その友人がたとえ隠れて、まあ、その、えー、出したら殺されるとわかっていても嘘を付くべきではないっていうふうに、まあ、言っていたりもするんですけれども、
まあ、そういうような状況はさすがにそこでは私だったらその嘘をつく、ついてでもでも友人の命を守るという、そういうふうなこと優先するべきかなとは思います。



[A5]
私は、その、友達や家族とコミュニケーションするときには電話を使いたいなと思います。
まあ、理由は、まあ、二つぐらいあって、まあ、一つはその手紙とかメールとかと違って電話っていうのは声でコミュニケーションを取りますよね。
で、まあ、そういう、まあ、手紙とかメールとかの文面だとどうしても、あの、ニュアンスが伝わりにくい、まあ、そういうこともあるかと思いますが、声だとその感情がこもったやり取りができるので、まあ、いいなって思うっていうのが一つ、
もう一つは、あの、手紙メールと違って電話って、あの、即座に相手の反応が返ってきますよね。
あの、文面だと、どうしても相手の返信を待たなきゃ行けないなそういうところに多少もどかしさがあるので、まあ、電話だとその辺が、えー、まさに、お互いに面と向かって会話しているような、そういう、えー、行為、コミュニケーションができるそういう点がいいかなと思います。



[B7]
私は、あの、まあ、国を守ることにお金を使うべきだという人もいる事も理解しますが、どちらかというと、国民の生活を良くすることに、お金を使うことを考えて、政府に考えてほしいなあと思います。
というのは、あの、国というのは国民が集まって生活している、できている、まあ、そういうものであって、国民あってこその国、えー、であると。
で、その国民が、まあ、生活が良く豊かに過ごしているからこそその国守るべき、えー、その国が守るに値するようなものになるというような風になっていくというふうに私は考えるので、
まあ、あの、国民の生活が、えー、良くしていく、よくなっていくそういうことを、えー、政府、えーと、には希望する、まあ、そういうふうに考えています。



[B4]
はい、えー、私は、えー、旅行に文化が違う国に旅行に行った時は、例えば自分のそのどうしても宗教的な理由とかで譲れないと言うのでもない限りは、なるべくその国の習慣に従った方がいいというふうに、えー、考えます。
というのはもちろん、それは旅行者としては自分は、その、よその国では、よそ者だということもありますし、そもそもその国に旅行をわざわざ旅行に行くということは少なからず自分はその国に対して興味を、えー、持っているからこそ行くということでしょうね。
それであれば、えー、自分の、えー、持っている習慣を相手の行った先で押し付けるというのは、まあ、失礼である以上に、えー、自分の、えー、視野を広げるという意味でもなんかもったいないなというようなふうに感じます。
というわけで、まあ、これは個人的には文化が違う国ではその国の習慣になるべく従いたいなというふうには思います。



[C7]
はい、えー、私は、この学校で、スポーツや運動の時間を増やそうという意見が、まあ、方法は一番いい方法の一つだとは思います。
というのは、あの、太りすぎた子供達が増えている、そもそもどうしてこういう風になっているか?やっぱり、これ、最近の、えー、社会的な変化ですかね。
昔だったら子どもたちが集まって体を使って遊んでいた。
まあ、そういうところが、まあ、ゲームが、えー、増えてきたとか、えー、共働き化とか、まあ、そういうところでなかなか平等にみんなが運動することが難しいというような社会になってきたことが原因だと思います。
なので、みんなが平等に運動をしようというときには、やっぱり学校という場が一番適切なのかなと思います。
例えば、それを、あの、スポーツクラブに通おうとか、そういうふうにしてしまうと、その家庭によって、そういうものにお金を使えるとかところで、どうしても差が出てきちゃう、えー、というのがあるので、まあ、平等にという意味であれば、学校でやるのが一番いいのかなと思います。



[C10]
えー、都市の人口が増えすぎて一番大きな問題になっているだろうなと思うのは、人々の働く場所と住む場所がすごく分離しちゃってしまっているということだと私は思います。
まあ、こうなってしまうと、例えばよく言われているように、通勤がとてもしんどい、満員電車に長くなっているとか、えー、そういうことに付随して子育てというのも、まあ、地域社会っていうのがどんどん薄まってきているのに難しくなってくる、そういうようなところがあるかと思います。
で、その問題を解決するため、えー、なかなか難しいとは思うんですけれども、まあ、地域の中でその仕事をする場が、えー、増えるような、そういうような仕組み、なかなか難しいですけれども、
これは、えー、そういう対策を社会全体で押し進めていくという、まあ、どうしてもそういう風にしないと解決しないと思いますが、そういうところを、えー、例えば政府なり自治体などに希望します。



[B8]
日本語で、あの、挨拶がいろいろあるけ、あるんですけれども、その中で私は、あの、お疲れ様という挨拶が、えー、一番とても好きです。
っていうのは、その挨拶と言っても、例えば、おはようございます、こんにちは、こんばんはといったような、まあ、時間に合わせて何かを選ぶというのと違って、お疲れさまっていう言葉にはこう文字通り、えー、相手の疲れをいたわる、気遣う、そういうようなまあ意味合いが、まあ、実際に行っている側が、まあ、どうであれ、少なくともそういう意図を感じさせる挨拶がある、まあ、日本語にはそういう挨拶があるということですね。
えー、そのような言葉があること、そして人々がそういうことばを日常的に使っている、まさに習慣ですけれども、えー、そのような、えー、ことを習慣があるっていうことが、まあ、私は、日本の中では、えー、習慣の中では好きだなと思っています。



[B10]
はい、私が話してみたい有名人、小室圭ですかね。
あの、ちょっと誰かっていう感じですけれども、秋篠宮眞子さまと結婚したあの人です。
というのは、そもそも、あの人も、あの、これまでに、マスコミに色々、えー、これまでの生育歴や後ろ暗い話を叩かれたりしていましたけれども、
まあ、そのようなさまざまな困難を乗り越えて結婚までに、眞子さまと結婚までにこぎ着けた、
まあ、そういう、えー、ところとか、或いはもうそこまで行き着くまでのバイタリティ、えー、色々もう見るべきところがある力強い人だなと思っています。
まあ、そういうようなもの、何がしかをもっている人と話してみたら、まあ、これはもちろん、そういうミーハー的な話以上にこう生きる上での指針みたいなそういう力強いものをこちらも受け取れて面白いんじゃないかなとは思います。



[E3]
一番身近にあって、まあ、最近というかあった成功した経験はこれ、あの、今の勤務先に就職できたと言うことが、ある意味はまあ成功した経験なのかなと言うと思います。
で、どうしてそれが成功だったかっていう話なんですけれども、えー、それまでに学位を取るまでに、もうそろそろ卒業だなというところで、なかなか就職先が決まらなかったんですね。
で、えー、その中で、まあ、自分も高専出身だということで、まあ、高専教員も、まあ、いいかなというふうに、えー、思ったって、
で、えー、探していたところ、まあ、たまたまなことなんですけれども、まあ、自分の出身地とも近いところで、募集がされていて、
で、そこで面接を受けたら、えー、運よく採用していただいたっていうもう色々たまたま続き、まあ、運の良さも、えー、あって、まあ、そういう、えー、就職にこぎつけられた、まあ、これは良かったかなと思います。



[E7]
うん、もう一度経験してみたい、昔経験したことで、もう一度経験してみたい、まあ、これはあの、旅行で海外旅行ですかね。
あの、昔、学生時代の時に、まあ、や、長期休みを使って、まあ、タイに旅行に行ったことがありまして、で、そこで経験したもう飛行機を一歩降り立った瞬間から、もうわっと押し寄せてくる熱気、そして、まあ、猥雑で、がやがやとした街だったり、えー、いろんな美味しい料理だったりそういう、まあ、日本で暮らしている時とは全く違った、えー、南国の雰囲気というのを、まあ、感じる事が出来て、あれよかったなあというふうに思っています。
で、今の最近のコロナ禍もあるとなかなかそういう旅行、海外旅行などいけないですけど、まあ、いつかこれが、えー、今の状況が落ち着いたら、また、えー、海外旅行、東南、アジアとか行ってみたいなと思います。

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